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ビタミン

ビタミンって何?

2022/02/07



romanov / Pixabay

こんにちは。ひご自然食品の久保です。みなさん、『ビタミン』という名前を知っている方は多いと思います。果物や野菜に入っているんでしょ?といった感じで思っている方もいるのではないでしょうか。ビタミンはA・B・C・D・Eと来ていきなりKに飛んだり、ビタミンの欠乏症や過剰症とか起きてしまうのは何故なのか。ビタミンは奥深く調べると謎が多い栄養素なのです。一言でいうと、体内で不足してしまうと欠乏症を起こしてしまい、健康な生命活動を維持できなくなってしまう微量栄養素のことです。

ビタミンが発見されたのは?

古代ギリシャでは『医聖』と呼ばれたピポクラテスは歯ぐきの出血などは、ビタミンC欠乏症(壊血病)と症状を記録しておりました。また中国では、紀元前1000年の周の時代にビタミンB1の欠乏症である『脚気』のような症状を古書に記録しております。普代(265~420年)には脚気の病名が記載され、唐の時代752年の医書では『外台秘要方』に詳しい症状が明記されているそうです。

ビタミン不足の恐ろしい病 『壊血病』とは?

中世のヨーロッパでは天候の異常で作物が収穫できなくて、新鮮な野菜や果実がかなり不足していまい、『壊血病』という病が流行しました。15世紀末には航海術の進歩によてヨーロッパは様々な場所へ航海していくことが可能になりましたが、船員たちが恐れていたのは壊血病だったそうです。バスコ・ダ・ガマは喜望峰を迂回するインド航路を発見した有名な人ですが、その航海の代償として何と乗組員の3分の2を壊血病で失くしてしまう悲惨な状況だったそうです。ビタミンは人間にとって大切な栄養素だと身をもって示された経験ではないでしょうか。

白米を食べる頃から脚気が流行!?

日本の縄文時代の終わりごろの紀元前4世紀頃は主に、玄米を食べていたため、脚気にかかる人はすくなかったそうです。しかし、18~19世紀頃になるとアジア各地では白米を食べるようになり、脚気が流行したということです。貧しい農民は麦、粟、ひえなどの雑穀を主食にしていましたが、江戸一帯は白米を主食としていたため、脚気が流行してしまったそうです。

日本人がビタミンで人を救った?

海軍軍医の高木兼寛という人がいました。287日と長い航海の中、脚気患者が333名と出てしまいました。高木は白米と野菜中心の日本食から動物性脂肪中心の洋食へ切り替えました。その理由は当時の日本食よりもビタミンB1が多く含まれていたからです。この疫学研究の成果は欧米の栄養学の教科書に引用されるくらい有名な話だそうです。

まとめ

現在の日本食は美味しいものであふれています。好きな食べ物、スイーツなど沢山食べることができます。ですが、今の自分に何が足りないのか、食べ過ぎていないのかを心がけると共にどんな栄養が不足しているのか、過剰なのかを知ることで、口に入れるものを選んでいく必要があるのではないしょうか。

参照文献

ビタミン・ミネラルの本

吉川 敏一氏

冬虫夏草|宮崎大学と共同研究 国産100%

平日9:00~18:00

-ビタミン